ソースは読売新聞2013年11月27日朝刊、29ページの磯田道史「古今をちこち-『家康大敗』の真相は」より。
歴史学者の磯田氏は三方ヶ原の戦い(1572年)について、様々な資料から「織田軍の援軍・3000人は少なすぎる」と指摘した。
通説では武田軍・2~3万人に対して、徳川軍・8000とその援軍の織田軍・3000で行われ、家康は大敗して、浜松城に命からがら逃げのびたとされる。だが、これは1685年頃成立の『織田軍記』の記述で、この根拠が怪しいと磯田氏は主張する。
織田の援軍は「3000」ではなく、「2万」が正しかったようだ(「前橋酒井家旧蔵聞書」『甲陽軍艦』より)。
家康が江戸時代に「神格化」されたため、ほぼ同兵力での合戦で家康が信玄に大敗したことを書くことは「隠ぺいされた」と磯田氏は書いている。
鵜吞みにしている常識を疑ってみて、それを裏付ける資料や根拠があれば、新発見につながるということを気づかされた。
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